はは。

韓国帰国中は連日メディア登場したり式典的なものに出たりなんやかんや・・・。
でも今回は、結構自分の言葉でいろいろ語る機会が多くて。朝鮮日報東亜日報にファンに向けたメッセージが掲載されたりしていたし、TVのインタビューも随分放映されていました。


朝鮮日報のほうは日本版で読んだのですが、現在は会員限定の記事になってしまいました。
韓国版のほうはコチラ→

東亜日報のほうは→

もう結構前の記事だし。どこかでもう訳をされている方がいるかもしれないので、読まれている方も多いかとは思います。

両紙読んでちょっと印象的だったこと。
ハングルが転写できないので、意訳になります。

朝鮮日報のメッセージより・・・。


どんな言葉や行動も、いいほうにとって下さる方々には本当に感謝いたしますが、
その一方でしきりに『過剰包装』になっていくようで恐い気持もあります。

(中略)

それでも今は、自分が公の立場にあるということを、重ねて自分に言い聞かしています。
今年になり、一層多くの方々が「大韓民国の希望」とおっしゃってくれていますが、
本当に私が国際大会でよい演技をすることが、国民皆様の愛に対する
小さな恩返しではないかと思っています。



私がどれほど長くスポーツ選手として活動するかわかりませんが、
明らかなのは現役選手としての生活より、その後の人生のほうがもっと長いということです。
現役選手で成功したといっても、人生で成功したとはいえないですね。
もしかするとスポーツスターとしての成功が、人生成功の初出発ではないかと思います。


これからもっと大きなスターになるとしても、私は変わらないです。
今までも、今も、これからも、私はただキム・ヨナであるだけです。
ただ、私に声援を送ってくださる方々に、
“良い演技をするため最善を尽くした立派な選手”として記憶されればと思います。
それが私の一番大事にしている価値でもあります。



つぎに東亜日報より。


メディアとのインタビューでも度々
オリンピックの金メダルに自信はあるかという質問を受け、
周りの方々からも「来年のオリンピックでは必ず金メダルを取らなくちゃね」
と、激励を聞いたりします。

でもそんな話を聞くたび考えて見ます。
「私はどうしてフィギュアスケートを始めたのだっけ」
振り返ってみると、オリンピックの金メダルを取るためではなく、
ただフィギュアが面白かったし、
ミッシェル・クワンがとっても美しく見え、
「私もああなりたい」という思いでフィギュアスケート選手になったのです。

時には辛い練習の疲れや、競技結果へのプレッシャーのため、
このことを忘れて過ごすときもあります。

ブライアン・オーサーコーチは普段私にああしろこうしろと
小言をたくさんおっしゃったりする方ではありませんが、
大会を控えたときにはいつも、
「君が楽しく幸せにスケートをしたら
誰も君に勝つ事はできないだろうよ」と仰います。

私の知っているフィギュアスケートは、
国同士、または選手同士の戦いではありません。
そして孤独な私自身との戦いでもありません。
もちろんまだ選手として学び、悟っていく道程でありますが、
少なくとも今私の知っているフィギュアスケート
ファンの皆様との共感が一番重要なことと思います。

だから来年2月には、私と私の演技を見る全ての方々に
ただメダルの色による悲喜ではなくて、
音楽と演技を通じて伝える喜びと幸せを
一緒に分け合えたらと思います。


オーサーさんの言う言葉、カルガリー五輪の演技を思い出すとなお、重みを感じます。
ヨナちゃんだけでなくって、今は彼の元にアダム君もいて、アンドレーエフさんもいるけど、彼らもまたその言葉を聴いているのでしょうか。

彼女のメッセージを言葉通りに受け取る以外に、特に語りたいとは思いませんが、なんとなく彼女なりの方向が見えているのかなあと感じさせられました。

そういえば。
朝鮮日報の記事のほうでは有名になって窮屈に思うようになった話で、こんな「らしい」一言も。

道で小学生らしい子が「あ、キム・ヨナだ」と叫べばたちまち
キム・ヨナってなによ。キム・ヨナお姉さんでしょ」と
ゲンコツくれたくなるときもあります。

ごもっとも(笑)。

そんなお姉さん、グータン・ヌーボーに出るんですってね。
私は江角の姐さんと対談するかと思ってワクワクしたけど、やっぱりスケートでおなじみの内田さんと安部美穂子さんの3人でガールズ・トークなんですね。
ソン・ヘギョちゃんとソン・イェジンが出たときは見たかな。おしゃべり番組・・・。

27日放映とか。