Firsts Keep Coming for Kim

Golden Skateにキム・ヨナの記事が出ておりましたので、後半だけ訳しました。
と言ってもかなり粗い仕事なので、心配ですが・・・(汗)
前半は今までも語られていたようなこと・・・試合に出るたび韓国初の記録を作ったといったようなことです。

Firsts Keep Coming for Kim


(前略)

キムは2006年の夏に2度のオリンピック銀メダリストであるブライアン・オーサーとのトレーニングを開始した。2007年の5月、彼女は彼との通年練習のためにカナダのオンタリオ州トロントへ移り住んだ。

「練習環境はとてもよいです」トロントクリケットスケーティングアンドカーリングクラブについてキムはそう語る。

「初めはディヴィッド・ウィルソンとの作業のためにいったのですが、ブライアンと私にはたくさん共通点があるとわかりました。だから私たちはチームを組んだんです。私には彼の指導の仕方や彼がジャンプやエレメンツの説明の仕方が合ってます」

キムは日に2時間、週に6日、氷上練習を行う。ほかに1日3時間のオフアイストレーニングもしている。

「我々はたくさんの心拍や強度アップのトレーニングを行い、それぞれのセッションの前には強めのウォームアップを入れている」とオーサーは説明した。

ピラティスではないが、コア強度のトレーニングもずいぶんやっている。先の秋からはイブリン・ハート、ロイヤル・ウィニペグ・バレーのプリマなのだけど、彼女と少しだけバレーレッスンを始めた。彼女にはヨガにも興味を持ってほしいと思ってる。僕自身やっているんだけどね」

ディヴィッド・ウィルソンはこの2年、1年目のショートプログラム以外のキムのプログラムを振り付けしてきた。

「僕たちはそれぞれの年ごとに両方のプログラムを変えた。なぜならかなり演じてきたし観られてしまったからね」とオーサーは指摘した。

「新しいプログラムを見ると新鮮な感じがするから。ヨナはとても多様なスタイルを持っているし、どんなものにも合わせられる。彼女は年齢以上の動きができるよ」

2008-2009シーズン、ウィルソンとシェイリーン・ボーンはキムにショートプログラムにいくつかの作品を提案した。そして彼女はカミーユ・サン=サーンスの死の舞踏を選んだ。ロングプログラムでは、彼女はニコライ・リムスキー・コルサコフシェエラザードを使うつもりだ。

シェエラザードは4年前に別のスケーターが使っていて、とっても魅力を感じていました。だから今シーズン使うことにしたのです」

「世界選手権以来、ヨナは成熟や発展の部分で本当にめざましいものがあるよ。」とオーサーはいう。

「我々は自分の音楽に関してもっと彼女自身が入り込んでいくべきだと感じている。音楽を彼女に選ばせたのはそのプロセスだよ。彼女に合うような音楽を見つけたら、彼女に最終的な一曲を選ばせるんだ。僕らはすばらしい信頼関係を築いているし、いいコミュニケーションもとっているし、とても助けになっている」

「私はいくつかのタイプの音楽にトライしてきましたけど、クラシカルなものが私には合うようです」とキムは語る。

「音楽がクラシカルだと心地よく感じますし、そういう音楽でスケートをするのが好きです。ピアノを小さな時ちょっとかじったけれど、もうやってません。今はもっぱら韓国のポップミュージックを聞きます。インターネット上で見つけるんです」

先シーズン、キムのショートプログラムは3F-3T、3Lz-2T、そして2A-3Tという3種のコンビネーションジャンプを行った。またさらに3S、3Lz,2回の2Aも飛んだ。

「これまでのところ、彼女が今できるジャンプにトレーニングの焦点を当てて来た。現在我々は新しいジャンプにはチャレンジしていない。彼女の弱点になっている3Loの練習をやってきているんだ。ワールド前にけがする以前ほどにはよくなっていないけれど、今この時点ではずいぶんよくなってきていると思っている。スケーティング技術向上にもいろいろ取り組んでいる」

「ヨナはS1関節の炎症と腰(臀部)の骨につながる腱に裂傷を抱えていて、未だにそれが時々強烈に痛むんだ」

オーサーは続けた。
「おそらく少しばかり酷使しすぎたためのけがなんだが、前の年はもっと悪かった。それから尾てい骨も悪くなった。さらに昨シーズンは臀部も痛めた。針の治療や代替医療を試して手術を避けてきた。僕の使命はそのけがを治すこと。だって毎年繰り返すわけにはいかないからね」

「この何シーズンにも渡って彼女が負った様々なけがのために、だれも本当に彼女がベストの演技をするのをみたことがない」とオーサーは付け加えた。

「けれどもこの夏、僕たちは9週間の本当にすばらしいトレーニングを積んできたから、今シーズンが楽しみだよ」

彼女はスケート靴が短い使用期間で壊れてしまうという問題も持っていた。

「彼女は6足も1年に使ったんだよ。でも彼女は去年トーキョーでいくつかいい靴を見つけて、1年に2.3足で済むようになった。もしかしたら靴のことが何かしら幼いときに彼女の腰の原因に成ったかもしれないが、今は(靴のことは)問題なくなっているよ」

キムは高麗大学に出願する予定だ。彼女は10月に面接を受ける予定で、彼女の入学は12月(グランプリファイナルの間)に決定する。

「私は高麗大学に運動のことを学ぶために行きたいのです。プロフィギュアスケーターに成りたいし、その後はコーチにも成りたいと思っていますから。高麗大学は私のプロフェッショナル・スケーターというポジションに関して最大限の理解を示してきてくれました」
キムはスケートリンクを含めたスポーツ施設を備えていることもあり、その大学に魅力を感じている。

「私は2010年のバンクーバー五輪に出場をするために1年間は学校を離れることになります。それで私はこういった状況を理解してくれる大学を探していたんです」とキムは付け加えた。

氷を降りると、キムはインターネット・サーフィンをすることや韓国の小説、殊にファンから贈られた本を読むのを楽しんでいる。彼女はフィギュアスケートに関する記念品(小物?)なども買ったりする。

「皆さんが私に持ってきてくださったぬいぐるみなどはできるだけお家に持ち帰るようにしてます。特別なのはいつもとってあります。」

「ファンは私がベストを尽くせなかったときでさえも、私の大きな支えでいてくれます」彼女は続けた。

「ファンのみんなは私に力をくれます。トレーニングをしているときは時々、本当につらいときもあるけれど、世界中を回っていい結果を出して、それから新しい出会いがあって、そういうのはとても素敵なことです。わたしは競技会よりもショーの方が好きですね。プレッシャーが少ないもの」

現在キムは五輪で初めて表彰台に乗る韓国人になりたいと願っている。

「2010年に五輪に出場することが私の第一目標です。オリンピックではいい演技をしたいですね、そうすれば結果はついてきます。いつもの私の目標は自分のスケートをできうる限りまで上達させることです。私はいつでも完璧に近づきたいと望んでいます」

彼女の2008−09シーズンはスケートアメリカで幕を開け、続いて北京で開催されるカップ・オブ・チャイナに参加することになっている