Buttle retires from competitive skating

この記事・・・。
ママの言葉もあり、読んでいてとても心に響いた記事でした。
(半端にとばした場所もあります、すみません)

Buttle retires from competitive skating

フィギュアスケート世界王者のジェフリー・バトルは水曜日、バンクーバー冬季五輪までわずか17ヶ月のところで競技から引退することを発表し、世界に衝撃を与えた。

スケートカナダがその26歳のスケーターが競技会へは心を向けないと決めたこと、そして他のカナダ選手にバンクーバーでの自分の場所を譲るほうが良いという考えに達したことを知ったのは、わずか2日前のことだった。

バトルの引退は、カナダが2010年の冬季五輪で男子を何人派遣できるかをわからなくさせた。昨シーズンの世界選手権におけるバトルの優勝とパトリック・チャンが9位に成ったことで、カナダは今シーズンロサンゼルスで行われる世界選手権に男子3名を派遣することができる。

しかしその世界選手権は、各国がバンクーバーオリンピックに派遣できる人数を決める機会なのだ。そしてもしバトルの後継者となる選手がロサンゼルスに派遣されなければ、カナダは1つか−ともすれば2つの五輪出場枠を失うかもしれない。

「我々スケートカナダにとってはまさしく大いなる困難な日であります」団体代表幹部のウィリアム・トンプソンは水曜日、ダウンタウンのホテルで開かれた記者会見の間にそう語った。

「しかしそれでも、私は彼の決心を称え、ジェフのいかなる選択も全面的に支持します。我々にとっては、選手たちが人生で素晴らしいことに進みゆく、均整のとれた人であることがそれ以上に大事であって、ジェフリーがこれから先の人生で成功するだろうことを信じて疑いません」

「しかし、ワールドチャンピオンを失うのは寂しいことであります」

(中略)

スケートカナダの代表幹事)トンプソンはバトルが先の3月、スウェーデンイェーテボリで世界選手権における圧倒的な勝利をおさめた後の数週間のうち、もしかするとこの選手は引退を考えるのではないかと思ったという。しかし先月、バトルが2つの新しいプログラムに取り組み、熱心に四回転ジャンプを練習しているのを見て、バトルは続けるつもりなのだと思ったそうだ。

バトルはそこまでの決心ではなかった。彼曰く、世界選手権優勝の高揚から醒めたときに、将来についての考えに葛藤が生じ始めたのだと。自分の成したことに満足と誇りを感じたが、一週間で心を決めたくはなかった。そこで彼は夏の間気持ちが定まるまでトレーニングを続けることにした。

バトルは彼にすぐさま引退することを思いとどまらせたのは自分の故郷で開催されるオリンピックに引かれる思いだったと語った。

「僕は自分が正当なる理由で続けているのではないんだという結論に達しました。どの都市でオリンピックが開催されるかがモチベーションを喚起する要因であるべきではありません。自分の内面から感じるものでなければならないのです。それは極限でした」

彼はもしカナダの来る優秀な男子選手層から機会を奪うことになればその方がずっと残念なことだと思った。もう何も証明しなければならないことなど残っていないのだと感じた。もうすでにトリノオリンピックで銅メダルを勝ち取ったのだ。

「バンクーバオリンピックは自分にとって大切なことだけど、勝つことが大切な訳じゃないんです」

彼は何人かのプロスケーター、たとえばカート・ブラウニングやブライアン・オーサー、そしてジェニファー・ロビンソンといった人々に相談したのだそうだ。トンプソンはバトルにとってイェーテボリ同様の努力をすることは可能なことであったが、困難なことになっていたと語った。

10日ほど前、彼の母であるレスリーカルフォルニアで練習を続けていたバトルから電話をもらった。彼女は彼の声のトーンから何か重要なことが起きようとしていると感じた。

「ねえママ、わかる?」彼は母に語りかけた。「やりたくないんだ」

「スケートを続けたくないというの?」母親は聞いた。

「スケートはやっていたいよ。でも競技としてしたくはないんだ。僕の気持ちはもうそこにないんだ。試合が近付くにつれ、試合に行く情熱が薄れていってるんだよ」

バトルは11月にオタワでのスケートカナダが初戦となるはずだった。

「ジェフリーはいつでも情熱を持ってスケートをしていたんです」レスリー・バトルは語った。「もしそれがなくなってしまったというなら、ひどく単調な演技をすることになりえますし、そんなのは嫌です。たとえプログラムが技術的に十分でないものになっても、彼は単調な演技は絶対にしないのですから」

レスリーは家に帰っておいでと提案した。
エアポートに迎えに行ったとき、バトルは引退する気持ちに変わりはないと彼女に話した。そして「がっかりさせたかな」と尋ねた。

「いいえ、全然」と答えた。

「私は彼が高校を卒業した時にスケートを続けたいと言ったときに、びっくり仰天した人なんですよ」

レスリーは自分の息子がいずれ世界チャンピオンの座につくために生きてきたようには、きっと出来ないだろうと言った。

「ライフスタイルにとにかく細かくこだわる子なんですよ。彼は毎晩同じ時間に寝て、朝もいつも同じ時刻に起きるのです。彼は同じものを毎日食べていました。同じ時間に毎日ね。大晦日にはどうしたか?彼はいつも母親と過ごして、11時に寝ました。25歳で誰がそんなことを出来るんでしょう。彼はライフスタイルをとかく守っていました」

「ある意味で、彼にとって今シーズン自分がいないフィギュアスケートを見るのはつらいものになるでしょうね。そしてバンクーバー五輪で、座って開会式を見ている、そういうのはかれが不安に思ったことでした」

バトルはアイスショーや世界をツアーで回る中で彼にどんな機会が生まれるかということに焦点を向けていないと言った。彼がまだ若く元気なうちには、自分のリストの第一項目ではある。そしていずれトロント大学に戻り、専攻する化学工学の学位をとるつもりだ。2002年に彼はパートタイムで専攻コースを取り始めたが、3年分を終了させた。

バトルはコリオグラファーとして働くこともあるかもしれない。彼は、クワドなくしても、複雑で難度の高い技術によるフットワークとスピン、つなぎのムーブメントをこなす音楽的な演技者として名を知らしめてきた。

「技術的な進歩は単にジャンプに関することだけではないのです」
かつては国際ジャッジであったトンプソンは言う。

「このスポーツに彼がもたらしたものは、たぐいまれなる、美しさと芸術性、なおかつ運動競技的であるのです。そしてそれを見ることが出来なくなるのは寂しいでしょうね」

「多くの、とても多くのチャンピオンがあれど、本当に素晴らしいチャンピオンはそうはいないのです」と元スケーターでスケートカナダマーケティング・広報部ディレクターのデヴィ・ウィルキスは言った。

「私は偉大なるチャンピオンとはこのスポーツに何らかの大いに意義ある方法で変化をもたらす人だと信じています。ジェフリーは間違いなくその一人です」

観衆は今シーズン何を失うのだろう?
バトルのEclogue(短い田園詩)という新しいフリープログラムは彼のキャリアで最高のものになるかもしれなかったーだがスケートカナダで、あるいはカナダ選手権で観客はそれを見ることが出来ないのだ。
バトルは運転中にこの曲をiPodで聴くのだそうだ。

「曲を聞いてすぐさま僕はジョン・カーリーやブライアン・オーサーのことを浮かべ、こう思ったのです。”ああ、この曲はなんて純粋で澄んだものなんだろう。それにこれぞ僕がスケートに信ずるすべてだ”と」

このPGを手放しはしないとバトルは言った。
それをショーやプローアマコンペで見ることが出来るかもしれない。

(終)



Eclogueについて彼がPure and cleanと感じて、"it's everything I believe about in skating"と思ったのは、私たちも同じものを感じていたのではないでしょうか。

この曲、本当にジェフリー・バトルそのものでした。
彼がいつかこれを滑るのを見ることが出来たら、本当にうれしい。